五 則
楊名時八段錦・太極拳
五 則
楊名時八段錦・太極拳の稽古実践の三つの極意です。
なかでももっとも大切なのは「心」です。人間は心の存在です。全ては心から発します。
あなたの心が健康を作るのです。豊かで、大きくて、広々としていて、こだわりのない心は、苦しいことも、うれしいことも、全てを無にして動く太極拳から生まれます。心を空っぽにして体を放鬆し、リラックスすることで、全身の経絡が開かれ、気の流れが良くなります。気の流れは血液の流れを導きます。血液は命を養う源。その全てのもとは心なのです。「息」は呼吸です。生きることです。呼吸は全ての武道の極意であり、健康法の源です。八段錦・太極拳の呼吸は、息をゆっくり吸いながら〝意〟をもって〝気〟を丹田〈へそ下三センチ〉に導く深長呼吸法です。呼吸は単に新鮮な空気を吸い込むだけでなく、宇宙の中に満ち溢れている、精気、神気、活気といった自然界の生きる力を体の中にとりいれ体中にめぐらし、静かに吐き出すという気持ちで行います。丹田は人間の生命の中心と言われるところですから、ここに気を集める呼吸法をすると、雑念が払われ、心が冷静になり、精神が統一して生きる喜びが湧いてくるくるのです。
「動」は、体から力を抜き、手の指先、足の指先まで気血をめぐらしながらゆったりと、鶴が舞うがごときに柔らかく、バランスをとって体を動かします。この三位一体が人生の要諦です。
『三国志』が出典で、劉備・関羽・張飛の三人が、桃園で義兄弟の契りを結び、蜀に国を住みよい国にしようと誓い合った時の言葉です。
いつまでも々心で力を合わせ、人々が真に生まれてきて良かったと思われる理想の国を作ろうとし、三人は生涯、この「同心協力」の誓いを実践遂行しました。なかでも関羽は、中国人が最も大切にする忠義にの模範的な人物として、現在も尊敬されております。
ところで、この三人の同じ心とは、どんなものだったのでしょうか。私は健康、幸福、平和、友好を願う心であったと思います。皆の健康と
幸福、そして、平和と友好を願う心で協力したのです。
協力は、自分から進んで力を共にすることです。人に愛して欲しかったら、まず、愛することです。許して欲しかったら、自分から許すことです。
人には誠意を持って接し、己には厳しい律を。
それには外には優しく柔らかく、内には強い信念が必要です。
太極の道は、自分を大切にし、友を大切にするところから生まれます。友を大切にすれば、自分も救われるのです。
若い人は年長者を敬い、先輩は後輩の面倒をよくみて育て、互いに威張ることも威張られることもなく、みんな仲良くしてこそ、美しい心が生まれ、安らかな呼吸ができ、そして健康g生まれ、幸福を実感できるのです。
和して栄える。お互いが心を寄せ合い、協力し合い、仲良くすること、そうしてこそ繁栄するのです。
「争而滅」、争して滅びる。読んで字の如く、争っていたのでは滅びてしまいます。
人と人との争い、つまり喧嘩はしないこと。国と国との争い、つまり戦争をしないで共に手を取り合っていきたいものです。争わない、心を寄せ合う。言われてみればもっともなことで、人間にとって大切であることは誰方も解っていることでしょう。しかし、なかなか難しく実行されないところに人間の心の複雑なところがあるのですね。
「以和為貴」和を以て貴しとなすは、聖徳太子の十七カ条憲法の第一条ある有名な言葉です。人の和こそが世の中を円満にし、スムーズに運ぶ根源なのですが、人と人との和は極めて難しい。難しいからこそ尊いのです。
太極拳の道は和の道です。心静かに柔らかな動きの中で気をめぐらし、自分の健康、幸福、そして仲間の、世界の人々の健康と幸福を願って太極拳をしていると、大宇宙と小宇宙の自分とが一体となり、心は」広々と広がり、「和」の輪が生まれます。
そして、「天地人」天の時、地の利、人の和があって、はじめて、世の中は栄えていくのです。「和」とは生きとし生けるこの世界の大調和なのです。私たちの生活と「和」を離して考えることはできません。
中華民国建国の父と言われる孫文(中山)先生は、「博愛」という言葉をこよなく愛されました。広く多くの人々を心から愛情豊かに大切にすることが、博愛の意味で、まさに孫文先生はそれを実践された人です。人間だけではありません。
宇宙にあるもの全てを愛する心も博愛です。
孫文先生は、博愛と共に「天下為公」という言葉を大切にされました。
「天下為公」天下は公のものとなす。天下は独裁者のものではありません。全ての国民のもので、人々が楽しく生活していけるところでなくてはなりません。
「世界大同」世界は大同であるということです。
天下と世界という言葉が出てきますが、天下は中国では一つの国家を指します。例えば中国、日本などということです。
世界は、世界中の国々のことを言います。ですから、 「世界大同」は世界中の国々は、皆同じでなければいけないと言うことです。争うことなく、皆が和の心を持って、幸せな世界にしたいものです。
孫文先生は、号を中山(ちゅうざん)とし、第二革命で敗れ、日本に亡命されたことがあります。その折、日本の財界の方々に書かれた「博愛」という書が、めぐりめぐって私のところにあります。
中国では「国の父」として尊敬されている孫文先生の「博愛」の二文字を、私は朝に夕に拝し、愛情豊かな、平常心に少しでも近づきたいものと願っています。
この三つの言葉は、楊名時太極拳の理念であり、また、目指す指針でもあります。
第一は、なんと言っても「健康」です。
自分自身が健康でなければ、人の役に立つどころか、家族やまわりの人たちに迷惑をかけてしまいます。
そして「友好」。友と仲良くしたい、信じたい。胸中を開いて話せる友の居ない人生は、まことに寂しいものです。
友が困っている時は支えてあげ、自分が窮している時は支えてもらう。人間は一人では生きていけません。支えたり、支えられたりして、幸せに生きることができるのです。
この健康と友好をふまえて、私たちが目指す理想は「和平」です。日本流に表現するなら、「平和」です。
稽古をする時、私たちは静かな動きの中で、心から皆の健康と幸せを祈っています。そうした心が社会にあれば、社会は穏やかです。
この心が世界に広がれば、世界中が仲よく手をつなぎ、戦争など起こらない世界平和へと発展していくことでしょう。そうあることを私は祈っています。
太極とは大宇宙のことです。大宇宙の中で生かされている小宇宙の私たちは、小さな個にとどまらないで、心の和を輪にして、世界中の和(輪)につなげたいものです。平和な世界にしたいものです。